| Posted by 西村智弘 | Date: 08.02.20 PM09:56 |
2月24日(日)、写真美術館で行われるイベント「映像をめぐる7夜」の 第4夜「フリッカー・ナイト」に出演しますのでお知らせします。映画の上映&トークです。
詳しくは、以下を参照。
http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=116961
「フリッカー」とは明滅のこと。
「フリッカー・ナイト」では、明滅の映画を集めて上映します。
チラシには、次のように紹介されてます。
「フリッカー」とは、光や像の明滅によって生み出される視覚効果のこと。知覚への直接的な刺激を与える手段としても多用されたが、1997年のいわゆるポケモン事件以来タブー視されてもいる。今回は、フリッカーの代名詞的な作品から、隠れたフリッカー作品までを特集上映。挑戦的で希少な機会、貴方はどこまで見つめ続けることができるか?
ついでにリーフレットに書いた文章もあげておきます。
表現としての明滅(フリッカー)
1998年の「ポケモン事件」は、透過光によって緑と赤を明滅(フリッカー)させたことに原因があったといわれる。しかし、少なくとも映像作品のなかで明滅は、つねに表現手段として使われてきた。このことは『ポケモン』の場合も例外ではない。明滅は表現なのであって、この点を無視して明滅を語ることはできない。
商業映画の場合、基本的に明滅は視覚効果として使われている。サスペンスやホラー映画に用いられる明滅は、不安や恐怖を象徴していることが多い。明滅は、コマ単位で挿入される点でアニメーションの問題に関わっているし、明度の異なるショットをつないでいる点ではモンタージュ(編集)の問題でもある。
クーベルカの『アルヌルフ・ライナー』やコンラッドの『フリッカー』のように明滅だけで成立した実験映画も存在する。しかし、クーベルカとコンラッドでは、明滅に対する関心が異なっている。クーベルカの作品は、黒と白というもっとも単純なショットによる究極の編集表現であって、映画の構造的(分析的)なアプローチである。一方、コンラッドの関心は、潜在意識の覚醒にあって、明滅によるトリップが期待されている。
明滅の歴史は古く、そのあり方は多様であって、今日の映像作品にも受け継がれている。「フリッカー・ナイト」では、新旧の明滅作品、明滅に関連した作品を集めている。ささやかな試みだが、「表現としての明滅」を改めて考える機会となるだろう。
実をいうとけっこう過激なプログラムです(内容ではなくて、明滅の刺激が)。
当日は、倒れる人がいないことを願ってます。


