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金村修 (写真家) の記事一覧 (1 件)
ENTRY #20
Room Full of Telepathy
Date: 07.03.08 PM12:57

今度の横浜美術館のグループ展のテーマは “水” 、 “川” なんですけれど、 “水” や “川” の流れ、その流れの “連続” と “非連続” について考えてると、 “連続” と “非連続” というのは補完的な関係でも相対的な関係でも反対語的な関係でもないような気がします。

“連続” の中に存在するある一部をせき止め抽出化して “連続” の中にあった、ある非連続のもの “非連続” を取り出すことはできないだろうし、かといって “非連続” を無視した “連続” も存在しないのではないでしょうか。 “連続” と “非連続” は対照的な関係というよりも、お互いに絶対に共通しあう部分がまるでない非対称的な関係だと思うし、絶対にイコールの関係をとることのできないこの二つのものが “水” や “川” の中で交差する。交差できないもの同志がなぜか交差する。矛盾が矛盾としてそのまま存在できるところが “水” や “川” の面白いところであり、それなら “水” や “川” を写真は再現することができるのか?カメラのフレームの中に “水” や “川” を切り取りその切り取られたものを “水” や “川” の再現だといえるのか?写真はよく時間を切り取るだとか空間を切り取るだとか過去を切り取るだとか被写体を切り取るだとか、まるで主婦が重宝するような便利な万能ハサミみたいに言われますが、写真はそんな便利な装置でしょうか?そんなに簡単に切り取ったものを再現できるのでしょうか?時間を切り取る?時間はそんな単純に一直線に定規みたいに存在していないし、そんな簡単に写真は “連続” から “非連続” を切り取り実体化し再現させることはできません。

写真は “連続” と “非連続” をイコールで結ぼうという密通には断固反対しますが、 “連続” と “非連続” が個別的にあるかのように振る舞うことにも疑問をもちます。カメラの構造自体がそのような単純な成り立ちでできていません。例えばファインダーという有限の “非連続” 的な枠組みの中にピントの “無限大” という “連続” 的な考えが侵入していて、そんな “有限” と “無限” という決して交わることのできないものが当然の顔をして存在しています。なぜ、交差することの不可能な非対称的なもの同志が一つの場所に存在できるのか?

そんな矛盾を解決しようともせずに何かを切りとるだのなんだのとできるわけがありません。写真はフレームの枠の中に被写体の何かを切り取った気になっても、当の切り取ったものとイコールになれず亀裂をもちこもうとします。切り取ったものになんの保証も名前も与えません。カメラは撮影した全てのものを対称的でなく非対称的な関係にへと変更を強要します。 “連続” の中にあるものを、枠を示し安定した位置を与えるのではなく、交差しないものを交差しないまま無責任に放置することが今回の横浜美術館のグループ展 “水” や “川” についての自分なりのテーマだと思いました。

03-08-15_10-52.jpg03-09-14_20-51.jpg写真:実家の20歳になる猫

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