| Posted by 倉林靖 | Date: 07.04.26 PM10:35 |
(以下は、最近、雑誌『音楽現代』5月号(特集:「3人のカリスマ グールド カラス クライバー」)に載せた駄文です。ここに全文転載しておきます。)
グールド/メディア/ビートルズ ~グレン・グールドの現在性
「グールド」とは何なのか。彼について考えれば考えるほど、グールドはひじょうにユニークな存在で、唯一無二であり、彼のような個性は二度と現れないのではないか、という思いが強くしてきてしまう。彼をめぐる思考には、様々に複雑で錯綜した要素が入り混じってくる--たとえば、彼は歴史を超絶した個性であり、彼が残した録音その他の仕事は、時代を超えて価値を持ち続けるだろう、ということは明らかだが、同時にその一方では、一九五〇年代にデビューして六〇年代・七〇年代を駆け抜け、八〇年代初めに死に至った、というその時代だからこそ、また北米のカナダという国だからこそ、「グールド」は生まれ得た、つまり、時間的にも空間的にも限定されたところでこそ彼の個性は輝くことができたのだ、ということもまた、真実であろう。またグールドは、もちろん第一にピアニストとして偉大なのであるが、その一方で、単なる演奏者という枠を越え出た観点から彼を評価することは、絶対的に必要だと思われる。
グールドの不滅性とは、まず、いま述べた最後の点、すなわち、単なる演奏家という枠を越えて、彼がさまざまな活動を行い、さまざまな表現メディアを駆使したことを考えるとき、ことさら強く感じることができるだろう。生涯を通じて常にメディアについて考え続け、その思考は邦訳で二つの「著作集」にまとめられているし、また 「対位法的ラジオ・ドキュメンタリー」と称した幾つかの作品--「孤独三部作」と呼ばれる「北の理念」「遅れてきた人々」「大地の静かな人々」--や、「録音の将来をめぐる対話」等々のラジオ番組の制作、講演、「弦楽四重奏曲」や映画音楽の作曲など、多岐にわたる「作品」を彼は残している。偉大な評論家であり特に先駆的なメディア論者として知られているマーシャル・マクルーハンと直接交流があり、そのなかでグールドは今日そして未来にも通じるメディア論を展開し続けた。このような彼はまた一個の素材として、映像・映画、著作の、そして研究の対象となっており、さまざまな人々の思考を刺激し続けている。こうした研究は我が国でも多くが邦訳・紹介等がなされ近づきやすいものとなっているが、特に近年のメルクマールとしては、グールド研究第一人者の宮澤淳一氏の『グレン・グールド論』が上梓されたことが挙げられる(春秋社、二〇〇四年)。宮澤氏はここでグールドに対するアプローチを、2つの「ゴールドベルグ変奏曲」録音にみる演奏家論と並んで、メディア論として、そしてカナダ人としてのアイデンティティ論として、というように三本立てにして展開するという炯眼ぶりを発揮している。やはりそのようにしてでなければグールドの全体像、そして今日的な意義はとらえきることができないのだ(「カナダ性」という面では、前述のマクルーハンがカナダ人であること[トロント大学に在籍していた]、偉大な実験映像作家ノーマン・マクラーレンがイギリスからカナダの放送局に迎えられて様々な実験的作品を残したこと[グールドとの共同の仕事あり]、さらにポピュラー系ではシンガー・ソング・ライターのジョニ・ミッチェルや、ザ・バンド[メンバー5人のうち4人がカナダ人]がカナダ出身であることが興味をひく。特に、筆者の敬愛するロック・ミュージシャン、ニール・ヤングがグールドと同じトロント生まれと知ったときには、びっくりし、思わずなるほどと納得してしまった!)。
筆者が、グールドの意義について考えるために、彼と並べられる現象として、いちばん先に思い浮かべるのは、たとえばビートルズのことである。ビートルズは一九六六年の全米ツアーの最後となった八月二九日のサンフランシスコでのライブを最後に、公演活動を行わなくなり、以後は活動の中心をレコード録音に置くようになる(ちなみに、この直前の七月に彼らの東京公演が行われている。ビートルズは以後、六九年に映画『レット・イット・ビー』撮影のなかで突発的な「屋上ギグ」[「ゲット・バック・セッション」]を行ったのを例外として、二度と公開ライブを行わなかった)。グールドは一九六四年四月十日のロサンゼルスでの演奏会を最後に、その後、演奏会活動の停止を宣言し、やはり活動の中心をレコード録音に置くようになっていく。ビートルズがグールドに影響を受けた、とは考えにくいが、しかし両者には何かしら関係があるのだろうか。その判断は研究者に委ねたいが、しかし、間接的な関係性というならば、グールドとビートルズの両者には、レコード録音というものの独自の可能性を追求するためにライブ活動を行わなくなる、という時代的な要請に従った点で、おおいに共通性があるといわねばなるまい。
六五年の『ラバーソウル』、そして六六年の『リヴォルバー』といったアルバムでも、ビートルズはすでにスタジオ録音に独自の可能性の追求、ということを始めているが、それが顕著なかたちで現れるのは、やはり彼らがライブ活動を行わなくなって以後、六六年十一月から録音が行われ、六七年六月に発表されたアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だろう。いまなおロック史上の最高傑作と評されるこのアルバムは、テープの逆回転から生まれるトーン・クラスター、自然音等サンプリングされた音源との合成、などさまざまな電子的変調が駆使され、それにインド音楽やクラシック等あらゆる音楽的要素が接合されてできあがっており、まさにスタジオ録音ならではの可能性を全面的に展開させた傑作になっている。内容的にも、「ペパー将軍のバンド」が演奏するというストーリー性が与えられ、最初と最後にそのバンドのテーマソングが入って、枠内で様々なナンバーが演奏されるなかで、「ロンリーハーツ」というタイトルに呼応した現代人の精神の不毛性、孤独が表現されていく(愛や友情への希求、LSD…)。最後の「ペパーズ」のテーマソングが流れたあと、1曲だけ枠から外れた、より「現実世界」への帰還を思わせる「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(人生の一日)が、先に述べたトーンクラスターの混沌のきわみのなかで断ち切られたように突然終わるのが、戦慄的かつひじょうに衝撃的なのだ。『ペパー』というアルバムは、こうしてまさに現代という時代と人間を映し出す、比類ない、恐るべき傑作なのだが、録音というメディアしかできないものとしてこのような作品が生まれた、そのような意味では、たとえばグールドが「ゴールドベルク」のアリアと三〇の変奏をそれぞれ何テイクかずつ録っていちばんいいテイクをつなぎあわせて、生演奏では不可能な様相をもったレコード作品を生み出したこととも合わせて、ビートルズとグールドはみごとに同時代人としての親近性を示している、と私には思われるのだ。
(ついでにいえば、私には、グールドが一九八二年九月に新録音の『ゴールドベルク』を発表し、新たな可能性を感じさせた矢先に、同年十月に脳卒中で死去してしまったことと、ジョン・レノンが一九八〇年十一月に「スターティング・オーヴァー」や「ウーマン」といった名曲を含む(オノ・ヨーコとの)アルバム『ダブル・ファンタジー』を発表して音楽活動の本格的な再開を始めた矢先、同年十二月八日に凶弾に会い死亡してしまったこととが、妙にダブって見えてしようがないのである。まあこういうことに影響関係などはまさかないだろうが…。)
ともかく、グールドが、生の演奏会という形態を嫌い、聴き手がより内的に集中できる録音の鑑賞という形態を好んだという事実は、音楽(音響)の電気的(電子的)操作、という意味からも、あるいは、人間の知覚の様態を問題にする、という意味からも、クラシック系ではなく、むしろある種のポピュラー系の問題意識に近づいている、といえるのではないか(前述の宮澤氏の著作にも、グールドの、ジャズ・ロック系の聴き手からの親しまれ方というものが、数多くの論点のひとつとして含まれていた)。より現在に近い領域でいうと、さしずめ、池田亮二やカールステン・ニコライといった、コンピュータによってサイン・ウェイヴをもとにして音響作品を作っていく「サイン・ウェイブ派」あるいは「音響系」と呼ばれるサウンド・アーティストたちに、グールドに近しいものを見るべきと私は思う(これらの動向については、たとえば佐々木敦『(H)EAR:ポスト・サイレンスの諸相』[青土社、二〇〇六年]を参照のこと)。むろん、グールドを純粋にクラシック演奏論の範疇で論じることはおおいに意味があろうし、クラシック界における、いわゆる「グールドの再来」--本当にグールドに似ているという意味から単に変わっているという意味まで含めて--と呼ばれる人たち(ポゴレリッチやファジル・サイ、アワダジン・プラット、最近ではマルティン・シュタットフェルトなど)を注視すること、もしくは即興性やリズム感(スイング感)という面で、今日のクラシック界(もしくは古楽界)にグールドがどんな影響を与え続けているか、を考えることは、大きな意義があるだろう。だがそれでも、冒頭に述べたように、依然としてグールドは一回限りの唯一無二の現象なのであり、ことに思考の射程を演奏からメディアという面に広げたときに、このことはとりわけ強くいえると思われるのである。

