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O JUN (アーティスト) の記事一覧 (3 件)
ENTRY #97
踏切2
Date: 07.09.23 PM10:12

すみません、間違えました。最寄り駅の踏切は全部で三つでした。下り方向のホーム端にもあるのを忘れていました。では続けます。事は上り方向100メートル程先にある踏切で起きました。先日の台風9号が関東に上陸する前の日でした。時折強い雨が降ってはまた青空が覗くといった台風の前ぶれ特有の天気でした。ぼくは、線路を越えた先の青梅街道沿いにあるディスカウントショップに猫のエサを買いに行く途中でした。小さい踏切を渡る方が、大きい踏切を渡るより近道になるのと、そこを渡ると青梅街道まで一本道のアップダウンを自転車で勢いをつけて降り、こんどはその勢いのまま登りきるのがなかなか気分がいいので駅を迂回して途中の路地を抜け小さい踏切に向って自転車をこぎました。やがて遠目に踏切の信号が点滅しているのが見え、遮断機の手前に人が何人かいるのも見えました。警報器の音とともに人の叫び声や怒鳴り声も聞こえてきます。何ごとが起こったのかと人だかりの後ろから覗いてみると踏切の真ん中あたりにミニバイクが倒れていて、その横にヘルメットをかむった背の高い女がひょろりと突っ立っていました。クゥアンクゥアンと鳴る警報器の音が気が気でありません。一人の年配の女性が気丈にも遮断機の下をくぐって線路上に立ち、下り方面に向かって両手を大きく振りながら“止まれ!止まれ!”と叫んでいます。すると対面にいた出前途中のソバ屋の店員がバイクのスタンドを素早くかけ遮断機を跨いで線路内に入ってきました。彼は上り方面に向かって大きく腕を振り回しながら“止まれ!止まれ!”と叫んでいんす。ほかの人たちも遮断機から線路の内に半身を乗り出して交互に上り下りを見ています。ソバ屋の店員が突っ立っている女に怒鳴りました。“あんた、歩けんだろ!早く踏切の外へ出ろよ!”すると踏切の両側にいる人たちも口ぐちに“轢かれちゃう、轢かれちゃう!”“死んじゃう、死んじゃう”“早く、早く!”“逃げて、逃げて!”と女に声をかけます。僕の前にいたタラバガニのような顔をした中年女性が“なにぼっとしてんだよ、あんた、立ったまんま気絶してんのかい!?おそば屋さん、そのひと、引きずり出しちゃいな!”と怒鳴りました。ソバ屋の店員が女の肩に手をかけてゆさぶりながら“おばさん、早く!”と言うと、女は我に返ったのか弾かれたように駆けだして対面の遮断機をくぐろうとするのですが、慌てているためうまくくぐれません。2度3度バーが女のヘルメットを打ちすえます。一人の男性がバーを持ち上げてやりました。女は四つん這いの格好で遮断機の下を抜けていきました。ぼくは、“おばさん、だったのか、、、”と思いました。後ろ向きでヘルメットをかぶっていたので顔が見えなかったのと、その女が長身のせいでした。また、着ていた服もシックなパンツスタイルで立ち姿もなかなかよかったので、女優の小雪のような人かなと勝手に想像していたのです。ソバ屋の店員が倒れていたバイクを起こして遮断機の向こうに引いてゆきました。女はソバ屋の店員からひったくるようにバイクを返してもらうとその場で跨りエンジンかけようとしました。バイクは転倒したときにどこか故障したのかスカスカいってエンジンがかかりません。なおも女はエンジンをかけようとします。そば屋の店員が見かねて“壊れちゃったんじゃない?押した方がいいよ”と言いました。“あれ、気が動転しちゃってんだよ”いつの間にかぼくの横にいたアポロキャップをかぶったグリコ犯のような男が笑うと、タラバガニみたいな顔の中年女性が“パニクっちゃってんだよ、あはは”と笑いました。女はやっとあきらめたようで、今度は両足で地面を蹴って立ち去ろうとしています。その無様な後姿を見てアポロキャップもタラバもげらげら笑っています。ぼくは、女に無性に腹が立ってきました。怒鳴りつけてやりたい気分になりました。ヘルメットの上からでもいいから頭の一つも張ってやりたくなりました。遅れて駅員がやって来ました。駅員は僕たちを見まわして、大丈夫ですかと言いながら踏切の中へ入りました。上下線を確認してから踏切周辺を点検しました。誰かが“人もバイクももう出ましたよ”と駅員に言いました。駅員は声の方に向けて軽く会釈をしてから停車している上下線の電車に手旗で信号を送りました。しばらくしてからぼくたちの前の踏切を上下線の電車がゆっくりとすれ違って行きました。電車が踏切の前を通るとき、車内の乗客が一斉に踏切を見降ろして通り過ぎて行きました。車内の一人とたまたま目が合って照れ臭かったので目をそらしたら、女への怒りがまたよみがえり、それはさっきよりもさらに強くなって憎しみに近くなっていました。電車が行き過ぎると、踏切の向こ
うに女がこちらを向いて立っていました。一瞬、手品のように思いました。落ち着いて心がもどってきたのか、女はあたりの人に丁寧にお辞儀を繰り返しています。ぼくは、女のそのきれいな仕草がこの場には何か不釣り合いでかえって間が抜けているように思いました。舞台挨拶のようにも見えました。お辞儀をされた人はろくに返しもせずに足早に立ち去って行きます。反対側にいた人たちが皆こちらに渡り切り、こんどはぼくたちが渡る番になりました。タラバガニのおばさんやアポロキャップの男は何か一言くらいは言っていくだろうと思ったら、二人ともものも言わず女をよけるように行ってしまいました。人も景色もこの女を置き去りにしていくように思えました。“どうもご迷惑をおかけいたしました。申し訳ございません、お許しください”女はぼくにも同じようにふかぶかとお辞儀をしました。ぼくはこの女の丁寧さは少しオカシイな、と思いました。女は顔を挙げると晴れ晴れとした表情で笑っていました。この笑顔もこの場にはふさわしくないと思いました。女の仕草や振舞いのことごとくが少しずつ、この世の場面や背景からこぼれているのです。“あ!”、ぼくは女の顔に見覚えがありました。ずいぶん皺も増えていましたが間違いありません。女は、洋の母親でした。洋はひろしではなく“よう”といいます。洋とは小中が一緒でしたが、勉強も腕っぷしもからっきしダメな子で、身体の芯が抜けているのかいつもふらふらゆれているのです。クラスの子たちからは“ぼうふら”だの“ゆうれい”だのとバカにされていました。ただ、息をのむほどきれいな顔をしている子でした。子どもの顔にしては整い過ぎていて、だけど首から下があまりにも貧弱で出来損ないの印象がありました。洋がみんなからバカにされていたのは、もう一つワケがありました。母親がバレーをしていたからです。T内バレー教室は路地に面した彼の自宅に併設されていて、家の前を通るとレッスンをやっているときには中から音楽に混じって洋の母親のかけ声や手拍子が聞こえてきました。洋も母親からバレーを習っていたらしいのですが、彼はそれを隠していました。たとえ自分の母親がバレー教室をやっていて、そこの息子が自分の母親からバレーを習っていることはふつうのようでいて実はふつうではないのです。子どもたちの間では、男がバレーをやるということが異常なことなのでした。なぜでしょう?能や日本舞踊ではどうだったのでしょう?ぼくの娘はいま高校2年生ですが、父親が絵描きであることをどう思っているでしょうか。“今さらそんなことを父親が娘に聞いてどうする”、と双方が思っているので聞きも応えもしないだけです。「親の仕事」という作文は、やはり小学生までですね。ある日、クラスの子が洋の家の前を通りかかったとき、白いタイツ姿でバレー教室から出てきた洋を見つけました。穿いていたタイツの股間が盛り上がり“なにか入れてるみたいにすんげーデカかった!”そうです。洋がバレーを習っていることはクラスの子たちの知るところとなり、からかわれる材料がまた一つ増えてしまいました。洋の母親は当時からすらりと背が高く姿勢のよい人でしたが、頭が小さいのですが目はぐりぐり大きく痩せて頬骨が浮き出ていて骸骨のようでした。近所を自転車に乗って走っている姿もよく見かけました。手足が長いため自転車が小さく見えました。そういえば、洋は小学生の時分は身体は小さく見劣りしていましたが、中学生になってからいきなり大きくなってすぐに母親をも越えてしまいました。やはり近所でその頃に自転車に乗っている洋の姿を見かけました。手足が長いところは母親とよく似ていましたが、サドルに腰かけている姿勢は母親のように颯爽としてはおらず、背中を丸めていて手足が長いぶんだけだらしなく見えました。母親のバレリーナ姿を一度だけ見たことがありました。小学校の卒業式の後に図書室で行われた謝恩会で彼女は白鳥の湖を踊ったのです。図書室の一角を片づけて低い壇を置いて仮設の舞台を作りました。その前に机を並べ変えて大きなテーブルをこしらえ、子どもたちにはサイダーと菓子が、大人たちには酒が出されました。ぼくたちは飲み食いしながら壇上の校長先生や父兄の挨拶とか話を聞いていました。ぼくの担任のK山先生は、酒が入った赤い顔で千昌夫の星影のワルツを歌いました。そのあとが洋の母親の白鳥の湖でした。壇の後ろの準備室のドアが開いて白鳥の衣装に着替えた彼女が登場しました。そう、まさに登場と呼ぶにふさわしい現れ方でした。バレーの衣装を間近で見たのはこの時が初めてでした。洋を除いた男子たちもほとんどがそうだったのではないでしょうか。皆ぎょっとしました。理科のN田先生が酔ったいきおいで“よっ、色っぺーぞ!”と声を掛けたのですが、すぐに黙りました。彼女の化粧をした顔に驚いたからです。テープレコーダーから音楽が流れてきて洋の母親は踊りだしました。ぼくは舞台の近くの席だったので、間近で踊る彼女のトウシュウズが床に擦れて鳴る音や、飛んだり跳ねたりするときの音に気押されました。彼女の身振りが起こす風や化粧の匂いもぼくの肌に触れてきて居心地が悪かった。踊りの迫力というより、身体の迫力に驚きました。自分は見ているだけなのですが、一緒に舞台に上げられて躍らせられているような気持ちになりました。この時、とても目のいい人が離れたところから見ていたら、彼女の傍らで振り回されるように踊り狂うぼくの幻が見えたかも知れません。ぼくは見ているうちにヘトヘトに疲れてしまったのです。そして、“やっかいだな”と思いました。この感じは後年、演劇を観ていたら役者が客席まで乗り込んできたり、やストリップ劇場で踊り子にイジラレたり、誰かのパフォーマンスを観たり、“靴を脱いでください”とか“ここに触れてください”などと指示がある美術作品を前にした時にあじわいます。“やっかいだな”と。おそらく彼女は身体が大きくなってしまったのでバレーを続けるのをあきらめて、教室で教えることにしたのかも知れません。そしてその怨みや悲しみがこれほどの白鳥の湖を彼女に躍らせたのかも知れません。息子の洋は母親のこの踊りをどういう気持ちで観ているのだろうと後ろの席に彼の姿をさがしましたが、いつの間にかいなくなっていました。  
洋の母親は昔に比べるといくぶん縮んだようですがまだまだ背は高く背筋は伸びています。踏切には洋の母親を残してもう誰もいません。だのに、その身体を折り曲げてまだお辞儀をしています。彼女はぼけているか頭がおかしくなってしまったのかも知れません。雨がまた強く降ってきました。今夜には台風は上陸するでしょう。早いうちに猫のエサを買いにいかなければ、、、ぼくは自転車のペダルを強く踏みました。

ENTRY #99
踏切の写真
Date: 07.09.23 PM10:51

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ENTRY #109
ブエノスアイレスは高架
Date: 07.10.05 PM01:22

アルゼンチンのブエノスアイレスという街に来ています。まだ5日目ですが不慣れな土地と体から時差がまだ抜けていなく少し疲れています。空港に荷物が届かず丸4日着たきり雀のチュンチュクちゃんでした。でもこの疲れの原因はそんなことではないのです。アルゼンチンは一帯、パンパと呼ばれる広大な平野の上に国があります。ああ、国とか言ってしまった、、!日本にいるときには滅多に使わない言葉なのに。とにかくだだっ広くて見ているだけで疲れます。ちょっと歩くだけでとても疲れます。アルゼンチン人もそうらしく、街の景色が途中で息切れして霞んだり、ほころびたり、またそのぶんどこかがぎゅっと煮詰まってたりしてます。近くを電車が2本走っていて、踏切を探したのですが街中を走っているからか、すべて高架でした。今日は地下鉄に乗ってしまいましたが今度電車に乗って高架の上から街を眺めてみます。ナショナルミュージアムには宮嶋葉一さんが見たら喜びそうなルノアールの桃とさくらんぼの小品とモランディのこれも小さいものですが佳品がありました。話しは変わりますが、横須賀のカスヤの森現代美術館に行ってみてください。谷山恭子さん森淳一さん柴田健治さん田口和奈さんが「アテンプト」という展覧会をしています。僕のキュレーションということになっていますが、僕は実際なにほどのこともしておらず、この人たちにしてくださいとお願いをしただけでした。僕の想像の外にあふれる作品を作って持ち寄り、奇妙な迷彩を館内に描いてしまいました。是非。